秋田県の臍





 

















秋田県のヘソ
 昭和61年、秋田県内の青年グループなど が「秋田県のへそはどこ?」と調べた結果 、河辺町であることが確認されました。秋田県の東西南北端を結ぶ対角線の交点、 さらには秋田県を長方形とした場合の栗駒山−須郷崎・鳥海山−御鼻部山を結ぶ各線の交点が町内にあるからです。その交差点に中心標を設置し、へそのシンボルとするとともに、周辺に桜などを植樹するなど「へそ公園」が整備されており、家族連れで楽しめる公園として住民に親しまれています。
 毎年6月第1日曜日にはへそ公園を会場として「へそまつり」が開催され、 「へそ踊りコンテスト」などで盛り上がります。へそまつり

 また、地元町内会で委員会を結成し、「へそ神社」を創建、「絆堂」には親子 の絆である「臍の緒」を収め保存しているほか、「へそ丸くん」という愛らしい キャラクターを作り、「へそ丸くんカード」での商業振興など、「秋田県のへそ」 を最大限にアピールし、町のエネルギーとなっています。
 (河辺町HPより) http://www.town.kawabe.akita.jp/


  ふるさと呑風便   第39号/平成4年6月20日
   
 河辺町岨谷峡。水清き峡谷が秋田県の中心地点。秋田県の臍である。ここで毎年、辺岨(へそ)まつりが開かれる。1年の真ん中は6月15日。新緑が爽やかな年のへそに近い日曜日に「臍祭」が開催されている。
 6月7日(日)午前10時。中国・天津市の靖医師と秋田県の中心点に向かう。車中、中国で臍の緒を祀る神社なんてのがあるかと聞いたが、愚問であった。
「これから行くところにある、ヘソ神社に娘と息子の臍の緒を奉納しているんだ。それも最初に預かった第1号と第2号だよ」
 靖さん、よく分かったかどうか、「それは面白いですねえ」

  それは面白かった。臍祭は今年で7回目。だから、8年前の5月の事である。当時、河辺町の町会議員で木村スタンドの木村友勝社長、彌高神社の北嶋昭宮司、高橋勘左衛門石材工業の高橋正社長、河辺町企画開発課長の安田広さんと私の5人は北海道へ飛んだ。
 秋田県の中心点が河辺町だということがわかり、岨谷峡にへそ神社を造ろうと、北海道のへそ・富良野市へ先進地視察という訳だ。では何を見てきたか。気心が知れた仲間は、旅の途中、昼から酒ばっかし飲んでほとんど何も見てこなかった、訳でもない。
 帰りの飛行機の中はガラガラ、罐ビールを片手に5人で旅の見聞を話しあった。
「富良野のへそ神社の狛犬は後向きになってたなあ」
「臍の緒を奉納している母子堂はだいぶ痛んでいたぞ。地元の人の臍の緒が少ないし、それにへそ神社から遠いのもおかしい」
「母子堂というのも片手落ちだ。親父はどうなるんだ」
といった具合で、翌年の春、秋田県のへそ神社は地元河辺町の方々と力を合わせて造られた。
 昔からあった由緒ある岩見神社の横に立派な神社が建てられ、河辺町の辺と岨谷峡の岨をとって、辺岨神社とし、臍の緒を納める御堂として絆堂と命名された。臍の緒は親子の絆だからだである。
 河辺町の木村氏達は、建設基金を集めようと秋田市の繁華街を廻って、一晩六万円もあつめたという。もっとも後日、集めた倍近い額の請求書が飲屋からきたらしいが。
 富良野の「北海へそ祭り」は毎年7月28日に開かれる。
 これを発案されたのは、富良野市民憲章を作られた繰上秀峰氏で、地元の若者達が盛り上げた。
 例のお腹の臍の周りに顔を描いて踊り歩く祭り。
 河辺町のへそ祭りもこれに習って、今年で7回目である。始める前にこの祭りの創設者である繰上秀峰さんに手紙をだして了解を得、好意的な手紙を頂いている。
 創設者には敬意と礼儀を尽さなければいけない。
 秋田県のへそ神社建立のいいだしっぺの特権として、自分の子供の臍の緒を絆堂に一番目にいれてもらった。それぞれ子供が二十歳になったら、お陰様で元気に育ちましたと子供を連れてお参りしようと考えた。
  今年の辺岨祭りも好天で盛況。秋田県の中心点付近はへそ公園となり大勢の人々が集まっていた。
 岩見神社にある絆堂には3組の臍の緒の奉納者が集まり、こども神輿も参加していた。2年前だったか、70代のご夫婦が、50歳の息子の臍の緒を奉納していた。子供は何時なっても子供には違いない。
  家族の中心、へそは父親!?そういえば、6月21日は父の日。家族のへそとして、子供が20歳になったら、お陰様でと絆堂へ連れていく自信があるか、んーむ。
  
    北海道のヘソ・富良野の北真神社視察の仲間。辺岨神社落成式当日。
       左から北嶋昭宮司・木村友勝議員・高橋正夫人・木村友勝夫人・ 佐々木三知夫・高橋正社長