田川誠一先生 最後の講演


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平成11年5月27日(木)
川反ふるさと塾舎
「政治不信の病根を考える」
田川 誠一 先生 (元自治大臣)

 私は佐々木さんが学生時代に、松村謙三先生のところへよく出入りされてまして、そういう関係で、今日までおつき合いさせてもらってます。今回、男鹿の方に横須賀からでて、工場を経営している人がおりまして、こちらに参りました。
 そしたら、皆さんの機関誌を見たら、私が何か話をすることになってまして(笑い)、びっくりしたわけです。
 といいますのは、一昨年の夏にガンセンターの先生方に何人か知ってる人がおりまして、講演してくれるかと話がありまして、一時間話をしました。私はその時に、一昨年の暮れをもちまして、一切講演はしないということを自ら誓いました。そして、そのガンセンターでの講演を最後に以後、今日まで団体の中でお話をすることをしていなんです。何故、そういう誓いをたてたかというと、私は大正七年生まれで、六月四日をもって、八一歳になるわけです。そして、まあどうにか、たいして呆けないで、今日まできましたが、やっぱり考えてみますと、非常に忘れっぽくなりました。そして、いうことも、話をして言ううことも、自分でひどくなったなあと。
 例えば、二〇分話すところを四〇分話しちゃったり、だいたい短く終わることがないんです。そして、これはボケの始まりだと自分からうすうす感じるようになりまして、皆さんから笑われないうちに大衆の前で、話をするのはやめようと一切やりませんでした。で、今日もする気はなかったんです。どうせ秋田のことですから、一杯飲みながら話をするんだろうと(笑い)ここへ上がって来ましたら、真面目な顔をされた方々が(爆笑)こういう机に座って待っておられた。何とか格好をつけなければいけません。

 話をしますが、ここに来るさる一〇日に、めまいをして歩けなくなりました。クラクラして急いで病院に駆けつけてしまいました。実は、病院の中でクラクラしてしまったんです。私は病院の中の床屋で三週間に一回行くんですが、床屋を出ましてから頭がおかしくなった。歩けなくなっちゃって、気はちゃんとしてるんですが、めまいがしてどうしようもならなくなりました。それで院長はじめ好意な人が多いもんですから、救急室で診てもらって三時間ぐらい点滴打ったり、一番心配な脳梗塞じゃないかとCTをとったりしましたが、脳の方は心配なかった。やっぱりストレスと神経がおかしくなって、三叉支管、脳の中の後半器官がおかしい、それは過労からきているということで、入院をしないで、家に帰りました。
 そういうことで医者がいっちゃあいかんといえば秋田まで行かなくてすんだんですが(笑い)行ってもいいということで、今日こちらにやって参りました。ということで、健康を害してますから、話があっちに飛んだりしたりするかも知れませんが、三〇分か二〇分程話をさせて頂きます。

 私は、よく今の政治はよくないというけれども、よくない理由は、一つは、ここにマスコミ出身者の人もいますが、私もマスコミ出身でございます。国会とマスコミが、既得権の上にあぐらをかいている。そして自ら痛みを感じなく、自ら犠牲を払わない。これが最大の、政治改革を進められない一番の理由だと私は思います。マスコミのことを話しますと、30分ではとてもできませんので、後で話しますが、まず国会が既得権にあぐらをかいている例を申し上げなくても、皆さんも感じていらっしゃると思います。
 規制緩和がすすめられているのに、国会は全然手が入れられてないのは、私が現職時代からの痛感なんです。
 例えば国会の委員会をご覧になっても、大臣が来なければ審議ができないなどと未だにいっているようです。予算委員会の総括質問をやると、総理大臣以下全部の、質問を受けなくともいい大臣まで出て、総括質問が終わるまで釘付けになっている。そのために役所の仕事は全部、十日間から二週間ぐらい停滞してしまう。それは昔からのしきたりだという。こういうことでどれだけ行政が停滞しているか、これは私は一番改めていかなければならない国会改革の一つだと思うんです。(現在は政府委員制度はなくなり、役人の出席は以前ほど多くなくなりましたが、答弁要旨の準備などの忙しさで省務が停滞するのは大差ないはずです)
 その他、細かいことをいうとキリがございませんが、国鉄の優待パス、皆さんはご承知かどうかわかりませんが、私が辞める十年ぐらい前、今から十六年前までは、国鉄の時代は、全部無料でパスが国会に届けられて、それをみんな使っていた。民営になってからは、我々の税金から国会議員のパス代を払っているんです。それから飛行機でないと来られない沖縄の方の飛行機代も全部払った。

 そういう既得権を何故、国会議員が持っておならければならんのか。私どもが新自由クラブを作ったのが昭和51年で、2年後にパスを返上したんです。こういうことから始めないとだめなんだと。そういう運動をやるんだったらまず、自らやらなけれあばダメだということで、やりました。長く続かなかったですよ。中には新自由クラブ脱党の理由として国鉄の優待パス返上したからというような人がいたんです。本心かどうか分からないがそれを理由に新自由クラブを離党した人がいるんです。私たちは何故、優待パス返上をやらなければいかんなあと思ったのは、赤字を抱えて困っている国有鉄道を何時までも借金を抱えて、国の税金から赤字を出していくのは良くないよ、そしてそういうことをやめさせるのは、やっぱり国会が返上していくようなことをしなければいかんなということからでたんです。しかし、長続きはしませんが、私どもと同じように、ずっと続けておった者もおります。

 優待パス返上をやって良かったと思ったのは、当たり前のことですが、自分たちが自分のポケットマネーで交通費を払って初めて、交通料金を肌で感ずることが出きる。
 私は新自由クラブがなくなってから、国会議員をやめるまで返上しましたけれども、私なんか電車通勤してますから、影響が大きかったんですけど、歯を食いしばって横須賀線に乗って、横須賀の田浦駅から新橋駅まで行き登院しました。グリーン車に乗ってたら大変な料金になるんです。定期券は5倍くらいになるんです。しょうがないから普通車で通うようになった。私が乗る駅は横須賀と逗子の間ですから、割合に朝は空いているから普通車でも座って来られました。やっぱり普通車に乗っていて、一般の人に話しかけられますよね。そういうことが、やっぱり代議士として大事なことじゃないかな。車やグリーン車で通うよりもいい事だなと思いました。そういう些細なことですが、国会が自ら範を垂れて既得権を返上するということをやれないということはない。
 特に私が申し上げるたいのは、政党助成金なんです。これは三三〇億から三四〇億になります。私が丁度引退するときにやった。私は反対したんです。結局これは共産党を除いて取るようになった。そもそも政党助成金をつくるきっかけというのは経済界からです。随分政界の腐敗事件が起こりました。それで経済界から、結局、企業献金が政治腐敗の一番の道、企業献金を止めさせるには、ドイツでやっているように政党助成をやって、企業献金をやめるようにしましょうといったことを、当時の経団連の会長が提案したんです。それに自民党がすぐに飛びついてOKした。それがきっかけなんです。
 ところが、皆さんもご承知のように政党助成金が始まった。企業献金を止めたかというとやめない。まずは金額を最高額を決めて制限をした。結局止めないで今日まできている。
 ついでに申し上げますと、私は共産党をほめたんです。今度は本当に反対したね。今までは歳費の値上げを共産党が反対して、それが通るともらっていたんです。今度も企業献金も反対するといって、政党助成金ももらうと思っていたら、とらなかった。私はどっかで話をするときに共産党はその点は評価しています。
 この政党助成があるために、どういう現象が他におきるかというと、不必要な政党がどんどんできる。つまり自分がある政党に属していた。この頃、政党をあっちこっち飛び歩く人が増えてきた。その中で一人二人でやっている人が、政党助成が欲しいもんですから、何人か集まって政党助成金をもらうために、政党を作る。政党をつくったから政党助成をもらうんじゃなくて、政党助成金をもらうために政党をつくる。そういう現象が起きているんじゃないか。ですから、こういう悪いものははやく止めさせるようにしなければいけないと私は思います。
 さっき共産党は偉いと申しましたが、偉いんだけれども共産党が反対したために、十億ぐらいの取り分が減らされたかといいますと、共産党が辞退した額は、全部にばらまかれる。(笑い)だから私は共産党にいったんです。拒否したのは偉いけれども、もらっておいてそれを他のほうに寄付したらいいじゃないか。さすがにこれは共産党には通じない話です。辞退したお金は公明選挙運動とかの予算に入れたらいいんじゃないかと思っております。

 もう一つ政治改革を阻んでいるのは、閣僚の任免です。北海道の佐藤孝行さんが、橋本内閣の時に、閣僚に入りましたね。橋本さんが入れた。大問題になって、橋本さんがついに佐藤さんに悪いけど辞めてくれといって辞めてもらった。その時に橋本さんが謝った。佐藤さんはまだ償いが足りないという意味のことをいった。その前に橋本さんがいったことは随分政治を曲げてしまった言葉ですけれども、過ちを犯した人は、何時までもそれを背負っているのは可哀想ではないかといった意味のことをいった。これは政治の正常な姿からいえばおかしいのじゃないかと私は思います。それはどういう事かといいますと、佐藤さんは、二回懲罰をくっているんです。最初は選挙違反です。その次はロッキード事件です。一審で執行猶予つきの有罪。そして控訴して二審で又同じように有罪。それで恩赦の話がくると、その直前に辞任して恩赦を受けて立候補する。だから佐藤さんのやっていることは償いをしてないんです。
 これが公の人と一般の人との大きな違いです。一般の人なら過ちを犯したら改めて出直してやる。しかし政治家の場合は、それではすまない。公職にある人は償いとして、例えば起訴をされた、有罪になったなら、一回辞めてある期間、謹慎をして出直すというのが、公の人のやるべき姿ではないかなと思います。
 そういうことを橋本さんなんかは、はき違えていっている。
 それからあの時に橋本さんが言った言葉に、代議士は誰でも閣僚になる権利があるというようなことをいっている。これはどういう思想かというと、これは皆さんもご承知のように、閣僚は派閥の順送りで、どんどん行われて、その循環をよくするために、年一回内閣改造をやる。閣僚は誰でもやれるものではなく、それに適する人格、識見、能力のある者が任命されるものであります。これが大臣の順送りになっているから、粗製濫造になっている。その為に政治が歪められている。
 こういうことが改められていないところに問題があるような気がします。
 もう一つは新聞の問題で申し上げたいのは、新聞の再販です。いまこれだけ規制緩和ができて、自由化になっているときに、新聞出版事業だけは、独禁法の例外規定に改まってないんです。再販行為というのはメーカーが作った値段で末端の売り手は、そのとおり売らなければならんというのが再販制度。そいいう行為ができるのは、今まで化粧品だとか色々ありました。ところが今、みんなはずれまして自由化されるようになった。
 にもかかわらず、新聞出版の場合は今までどおり。これは新聞記者の第一線の人も知らないんです。この再販は過当競争をやめるために、避けられないということですから、皆さんが新聞をおとりになって、仮に何十年朝日新聞をとっても割引はできない。読売新聞を何百部一緒に買ったって割引はできない。定価のとおり新聞を買わなければいけない。それからうちの新聞販売店はサービスが悪いから、隣のまちの販売店で買おうといってもできない。これは自分の住んでる地域の販売店でなければ買うことができない。
 最近少し新聞によっては、マーケットで買える新聞もあるようですけれども、新聞の価格の統制というのは、未だにはずれない。
 これが3、4年前から公正取引委員会が、学識経験者の規制緩和の委員会でマスコミに関する再販を撤廃しようという意見がだんだん出始めると、新聞の紙面で再販維持をしなければ新聞が皆さんの家に届かなくなるとか、新聞の自由がなくなるとか、というようなことをいい始めるようになりました。そして再販をやめようというような議論を吐く学者や堂々という人を言論界からシャットアウトされるようになってきた。これなどは非常にひどい状態です。読売に関係がある人がいたら失礼になるかもしれませんが、読売新聞が一番ひどいですね。再販維持の運動を大々的に、渡部恒雄という社長さんがやりました。激しい人ですから、私も新聞記者時代からよく知っておりまして懇意ですけど、今や田川誠一は政界のガンだなと(笑い)いわれたくらいです。
 私は、あの人と大喧嘩したこと、対面ではなく口で大喧嘩したことがあるんです。
 私が自治大臣をやっている時に、新聞の事業税の免除を何故いまだに続けているのかと新聞、テレビ、雑誌、週刊誌にまで事業税を免除しているのか。免除というのは、時限で当分の間免除とした。昭和24,5年頃なんです。私が自治大臣になったのは昭和58年の暮れでしたから、その期間までの間に新聞界もよくなり、調べてみますとマスコミの従業員の給料は、他の産業の4倍くらい高いんです。にもかかわらず、最初に事業税の非課税が当分の間、免除しようというのができたのは、新聞の用紙が不足になった、テレビができたてだということで始まった。それが、マスコミの景気がよくなっても、やめようとしない。ちょっとそういう議論を吐くと、新聞が文句をいう。だいたい自治省の役人が、みんなビビっちゃた。それから自民党でも良識のある人は、税制に関係にある議員は、これは改めなければ、事業税はやめなければという。ところが、みんなしない。私はあまりに目が余るし、医師税制のことばかりやるんです。
 事業税というのは地方税、都道府県税なんです。この事業税の特例をやめさせようとして、藤尾君が丁度、自民党の政調会長をやってましたから、働きかけて協力して特例を廃止させることを申し合わせました。藤尾君は読売新聞出身、それで藤尾君と新聞の権威を高めるには、事業税を何時までも免除してるのは恥ずかしくてしょうがないよと。政府の税制調査会になると、新聞の代表や論説委員が委員になって出てる。

 そういう人達が反対して、推進論の人を睨めつける。そうすると後で仕返しをするんじゃないかということで、驚いてやめちゃう。そういうことがたっぷり重なっているもんですから、藤井君、おまえと俺と二人がいるうちにやろうと、それで実は二人で非常に独断専行だけども、やったんです。テレビが随分反対しました。しかしね、やってみれば何でもないんです。反応は新聞協会で声明を出した程度。
 だから怒ったのが読売新聞のナベツネさんなんです。ナベツネが「けしからん」といって大騒ぎをして、新聞各社を回ってこれはいっぺんにやられちゃあ困るといって激変緩和(一度に大きく変えるのを少しゆるやかに変えて行くという税制上などに使う言葉)といって全部やめないで、最初は3分の1やる、次ぎに3分の1と。私が引退する平成5年までまだやってるんですよ。
 それで私は、自治省にまだ知ってる人がいましたから、こんなことをやっていいんですかといったら、もっともなことでやめさせたいんだが、新聞界が強くてという。
 新聞協会長、誰やってるんだというと朝日新聞の社長で、彼の所へねじ込んでいったんです。そしたら、田川さんのいうことは正論だから、後2年でやめさせるからという。結局、私が引退し3年目ぐらいに事業税免除が廃止。そういういきさつがあるんです。それで、新聞協会大会が終わった後の懇談会で、「田川誠一というのはひでえ奴だ、ああいう奴が政界にいるから」ということいったと聞いた。実は私の弟が読売新聞に二人もいるんですよ。(笑い)一人は家内の弟で、一人は実の弟、二人とも定年で引退してますから、ここでいっても実害がありませんから、(笑い)申し上げるんですが、これはひどいです。
 ですから、新聞界というのは全く、新聞の料金は、私も朝日新聞にいて組合をやっていましたから多少知ってるんです。新聞料金が高いというのは、新聞販売店にどんどん金をやる、だから新聞販売店は、本社の販売部から読者の数だけもらうけども、それを相当上回る数をもたされるんです。形としては販売店から欲しいといってきたという形にする。そして、そのみずまし分だけは、新聞の本社が払う。だから、販売の料金が非常に高くなる。そして販売店はその上に、今どこの新聞もやっていると思いますが、販売拡張員というのは販売店はやらないんです。販売店が販売をやるプロを雇っている。そのプロは野球のスカウトみたいなもんで、どの新聞でもいいんです。その販売店へもっていくと何割かの報酬をもらえるんです。それをみんな本社へつけで廻されますから、新聞の価格というのは、販売の費用として相当かかってくるんです。
 再販の問題は、昨年の3月の話し合いでは、少しすすめるような結論がでているようですが、非常にあいまいでまだまだどうかなと、私は非常に心配しています。
 そういうように新聞界が、もっと積極的に自ら改革していくということを努力する。
 そして国会も先ほどいいましたようにやっていく。ということでないと、政治改革はなかなか難しいんじゃないかと。私はですから、ガンセンターで政治改革の病根は、国会と新聞界にあると、これを直すことが一番大事で、これはガンセンターでも直すことができない、国民がやる以外にないという結論でございました。


  「政治不信の『病根』を考える」    元衆議院議員   田川 誠一先生

 1.あいさつ
 がんセンターとの縁
 私は、がんセンターの設立されました年の少し前、昭和35年秋、池田内閣の初の総選挙で国会に出ました。ちょうど60年安保騒動の直後でした。そして、がんセンターのできた3年あとに、厚生政務次官を務めたり、その後、今の厚生委員会の前身であります『社会労働委員会』の理事や委員長をしたりして、短い期間ですが、厚生行政に関係しました。
ですから、がんセンターに関係のございました先生方には幾人かの知り合いがあります。
個人的にも阿部総長、末桝名誉総長とは同じ横須賀出身でありまして、何かと、ご指導を頂いております。中央病院の成毛副院長は親戚でありますし、東邦大学学長の杉村隆先生の付属病院は私が20年来、年2回、定期検診を受けている病院であります。
東京女子医大学長の高倉公朋先生や禁煙運動で知られていた故平山雄先生には、ある時期、少しばかりお手伝いし申し上げたこともありました。
当センターには、そうしたご縁がございまして懐かしい思いで、お伺いいたしました。
   15年づつ、半々の与、野党生活
 4年前、私は33年にわたる代議士生活を引退いたしました。この33年間の内、前の半分は自民党で与党生活でした。あとの半分は新自由クラブ。10年にして新自由クラブが私を除いて皆、自民党に復党してしまいましたので、一人で引退まで野党生活をしてきました。
つまり私の政治生活は約15年づつ与党、野党半々の生活という議員としては珍しい体験をしてまいりました。今日は、自分の体験を踏まえながら一有権者として、演題のようなお話をさせていただきます。
2.政治家に対する3つの意識革命
長所とは逆現象の小選挙区制
 私は今も、ひとから『政治はどうしたら良くなるか』という質問を受けることが、しばしばございます。
そのような時、私はこう申しております。『制度を変えても、今のような政治家の永田町的な意識を変えない限り、政治は良くなりません』。『政治家の意識革命をすること。選挙民の政治に対する考え方を変えてゆくことが、まず先決です』。
1つの例を申しましょう。
細川内閣の時『政治改革』の目玉として小選挙区制度が誕生しました。昨年は新しい制度で選挙が行われました。
小選挙区になれば『二大政党になり本当の政党選挙となる』と言われて来ました。また小選挙区が実現すれば、中選挙区のように『選挙にカネがかからなくなる』とか『党と党の選挙戦になるから、所属議員の政党意識が強くなる』など小選挙区の良い点が宣伝されました。そして強引な手法で反対を押し切って小選挙区が実現しました。当時、小選挙区制には野党は、ほとんど反対、与党の自民党でもかなりの反対がありましたが、反対を表明すると『あれは政治改革反対派だ』とか『ウルトラ保守だ』というレッテルが張られたりしたため、それを恐れて、反対者も余儀なく賛成せざるを得なくなって、あれよあれよという間に国会を通ってしましました。
この制度が実施されてから、わずかしか経っていませんし、選挙は1回しか行われていませんが、どうでしょうか。すでに小選挙区の長所とは逆の現象が現れてきています。2大政党どころか、政党の乱立や離合集散振りは報道などで、よくご承知のとおりです。
ベテラン議員までが政党の渡り歩き
 また議員の政党に対する考え方が非常に安易となり、個人の有利、不利から政党を平気で鞍替えする者が増えてきました。僅か2〜3年のうちに7回も8回も政党や会派を渡り歩くような議員が珍しくないようになってまいりました。ひどいものです。
それが選挙に弱い新人議員ばかりでないのです。相当なベテラン議員までが、自分の将来にどちらがプラスか、という個人本意で安易に政党の鞍替えを度々繰り返すようになりました。どこかの新聞の川柳にこんなのがありました。『いま、わしゃあ、何党かね、と秘書に聞く』などという皮肉ともつかない批判がでているほどです。
 ひどいのは、政党交付金の二重取りや所属の政党を離党するのに政党交付金の配分を貰うと、さっさと離党するという、厚かましい者も現れています。私などには、とても考えられないことが、平然と行われるようになってまいりました。
 政党の方も、政党で、同じ政党なのに思想信条が、まちまちだったりして、多くの政党が『選挙互助会』のようなものになってきています。政党には国民の意志を代弁し、官僚主義の政治に歯止めかけるという使命があることを忘れてしまっては困ります。先日の宮城県知事選挙で政党の推薦を断って出馬した候補・浅野さんが、現職ではありましたが、自民党はじめ各党推薦を受けた候補に圧勝したことは、今の政党に良い教訓となったはずです。
   佐藤問題で露呈した『永田町的論理』
 このような現象は、一つには政治家の使命感、責任感が昨今、非常に稀薄になったためであります。
 先月の佐藤孝行さんの閣僚辞任問題で、橋本首相や中曽根さんの発言、行動に、こうした永田町的の思考というか、意識がよく現れています。
 橋本さんは佐藤さんを閣僚に任命した後の記者会見で次のようなことを述べていました。『過ちを犯した人は一生レッテルを背負って行かなければならないのか。償いを済ませて改めて世の中のために立ちたいと思うことが許されないのか。私はチャンスを与えて良い、と思う』
 別件なら、これで良いですし、良い刺激になります。
   忘れている責任感と倫理観の重さ
 しかし、橋本さんや中曽根さんが根本的に間違っている点は、公職にある身の佐藤さんと、一般国民とは責任感や倫理観の重さが違う、ということを忘れてしまっている点であります。
 国会議員には、一般国民よりも厳しい責任感、倫理観を求められていることは、先生方は、よくご存知でありましょう。だから国会議員は、憲法によって『国会開会中の不逮捕特権』とか『議会内での発言、討論などについて国会の外で責任を問われない』などという特権が与えられているわけです。
 佐藤孝行さんは、有罪が確定後、責任をとっていたでしょうか。償いをしたでしょうか。
 していないのです。有罪が確定した佐藤さんが議員辞職でもして一定期間、謹慎するなど『責任』や『償い』、『反省』をして初めて政治家として改めて出直すことができるのではないでしょうか。
 そればかりではありません。ロッキード事件前に選挙違反で買収の容疑で検挙され、執行猶予付きの懲役1年の有罪判決を受けています。一、二審共に有罪で最高裁に上告中に、明治100年の恩赦があることが分かり、佐藤さんは、ロ事件と同じように、上告を取り下げて有罪が確定したのです。昭和44年の初めのことです。すぐそのあとに特別『恩赦』で、その罪は消えました。そしてその年の暮れに総選挙に立候補して当選されました。法律的には罪は消えました。けれども政治的、道義的責任というものは残ります。
 政治家の多くが忘れ去っている、こうした政治原則、政治規範を、もう一度、呼び戻すことが、意識革命の一つなのであります。
   閣僚の座は誰でも得られる権利ではない
 もう一つの意識革命を呼び戻して貰いたいことがあります。
 佐藤問題での橋本さん達の発言で分かったことですが、橋本首相は『佐藤さんにも閣僚のポストを“人並み”に与えたい』と言っていました。この発言は間違いです。
 国務大臣というものは政府の中枢にあり、強い権限と責任を持つ立場であって、それに相応しい人が厳選されて任命されるべき地位なのです。議員、誰にでもチャンスが与えられるものではありません。ただ先生方にも取り違えておられる方がおありと思います。
 保守合同以後の閣僚のイスが当選5、6回ぐらいになると与党の議員ならば、派閥の順送りで能力や適、不適に関係なく、大臣になれるようになっているからです。そして閣僚の順番の回転を早くするために、会社の定期異動のように一年内外で内閣改造が行われることが、当たり前のようになってしまっています。このことは異常なことです。
 こうした異常なことが、当たり前のようになっているから、議員としての立法府の仕事を立派に果たしていても、大臣にならないと、選挙区では『うちの代議士は、一人前ではないのか』という、誤った評価が出てしまいます。大臣病の病根は、こんな所にも影響しています。
 こうした悪いしきたりが政治の官僚支配を招いたり、閣僚の質を低下を来たし、結局、政治不信の元になってしまいます。改めなければならない問題です。
   汚職続発を招く反省と究明の放置
 意識改革の3つ目の問題を申します。先月の政府の行政改革会議終了のあと、委員の1人、読売新聞社長の渡辺恒雄さんが、佐藤孝行さん辞任で国民に謝罪した橋本首相の態度についてコメントを求められた時、渡辺さんは、テレビ朝日の記者に次のようなことを述べています。『何で反省したのかねえ、分からんよ。だって過去で解決済みの問題だ』『そういう世論が何日続くかだよ。まあ皆さんが一生懸命作るんだが、けれども、あと1週間もってせいぜいじゃあないか』こう渡辺さんは言いました。
 つまり佐藤さんの問題は『過去の問題で、過ぎ去ったことをあれこれいうのはおかしいということ。もう一つは、佐藤問題などは一週間も過ぎれば忘れ去られてします』と多寡をくくっていたことです。
 この渡辺さんの発言は、今の永田町思考をよく現しているものと思いました。過ちやミスも時が経てば、すぐ冷めて忘れられてしまうから心配はいらない。こういう考え方です。
 『過去に目を覆う者は現在に盲目である』という名言を述べた西洋の政治家がいましたが、日本の政界に汚職事件、腐敗事件が堪えない理由の一つには過去への反省、原因究明が、いい加減に処理されていたためであることを、政治家はもちろん、国民の皆さんにも真剣に考えて欲しいものです。
 ちょっと余談になりますが、橋本首相は、もともと周囲にハラを割って相談する代議士が皆無と言っていいくらい孤独です。夜も仕事が終われば、官邸に早く帰るか、義理のお母さん、高知県の知事をしている義理の弟、大二郎さんの母親ですが、しばしばお見舞いに行かれるそうです。
 ですから、党内基盤のない、孤独な橋本さんにとって、広い人脈と押しの強さを持つ梶山静六さんが、官房長官を去っていった。こういうことは痛手です。もし梶山さんがいれば、佐藤孝行問題で、橋本さんが指導力を失ったり、つまづくようなことはなかったかもしれません。
   良識持つ政治家や増して育てるのが、有権者の務め
 ロッキード汚職事件の前後から主な腐敗事件が13、4件も起きています。その中でも、リクルート汚職事件は、政界、官界、地方自治体、財界、言論界、評論家などみまで幅広く、跨がった事件でありまして、最後は竹下内閣の崩壊にもつながった汚職事件でした。
 高度経済成長の波に乗って急成長したリクルートとその関連会社が『就職情報誌』を拡大することや不動産売買のために関係団体の責任者に自社の未公開株を譲渡して便宜をはかってもらった、という事件です。昭和64年から一年余り世間を騒がせました。
 まだ裁判が継続中ですが、官房長官を始め、公明党の代議士や労働省、文部省の2人の事務次官、NTTの会長、川崎市の助役など、多数が摘発されました。また未公開株取得の疑惑で辞任した者のなかには大蔵大臣をはじめ、野党の委員長、日本経済新聞の社長など多方面にわたったことは、まだ、記憶に新ただと思います。
   『濡れ手で粟』『秘書が、秘書が』
 当時、流行った言葉で『濡れ手で粟』とか『秘書が、秘書が』『妻が妻が』などという大衆の批判の声でした。ご存じのことでしょう。国会周辺には『永田町三原則』という言葉もささやかれました。
一、バレなければ、何をやっても構わない。
二、いったんバレたら、全部秘書のせいにする。
三、それでもダメなら開きなおって「みんなで渡れば怖くない」などというものです。
 こうした言葉は、実際に疑惑を受けた指導者たちの中で『株の売買は経済行為だ。何が悪い』と居直ったり、未公開株の譲渡が、秘書や家族名義で行われていたことに対する、庶民の憤りから出た皮肉でありました。真面目に政治に取り組んでいる議員にとっては耐えられないな批判です。いま政界の関わった政治家の中には元首相の石橋湛山さん、松村謙三さん、灘尾弘吉さんなどに代表される信念強固で責任感に厚く、清廉な方々も幾人かおりました。
   『生まじめ』禧八郎・参議員議員
 野党でも参議院でしたが、木村禧八郎という社会党の論客がいました。
 財政、経済、地方自治の専門的研究を勤労者の立場から追求するという目的で昭和22年から46年まで議員と勤めました。予算委員会などでは政府、財政当局を、しばしば立ち往生させ、理詰めの正攻法で追いつめたことで有名でした。この人が質問に立つという時は、4、5日前から総理大臣始め関係各省は大変な緊張ぶりで準備に当たったものでした。木村ではなく『生まじめ禧八郎』と呼ばれたほど真面目人間で、最後は落選して、引退されました。
   媚びずに、政策一筋の田中秀征氏
 近年では大平内閣の官房長官を勤めた伊東正義代議士や、先生方には馴染みの薄いでしょうが、新党『さきがけ』の田中秀征さんなど、正しい政治姿勢を貫き通して、評価を受けている政治家も随分おります。
 田中秀征さんの『選挙歴』は、この人の不撓不屈の精神を示す1例です。
 前回の選挙に田中さんは経済企画庁長官という現職で落選しました。現職閣僚の落選は、ままあることですが、この人は最初に衆議院議員に立候補して4回続けて落選しています。普通の者なら、3回も続けて落ちればあきらめてしまいます。ところが田中さんは5回までに少しづつ得票を延ばしながら挑戦を続けて、ついに議席を勝ち取りました。トップ当選でした。
 そして当選して次の選挙には、また落選でした。親しい人に田中さんは、こういってました。『相撲ではないが、私は3勝6敗です』と落選をそれほど気にしていませんでした。目的意識の強さ、不撓不屈気迫は見上げたものです。
 選挙民に媚びることなく国政に与えられた自分の勤めを果たしていた、ということが選挙を不利にしていたのかもしれません。田中さんが常に時代の変化を敏感に察知して政策の立案、発想の転換を先取りしようとする努力は議員の規範と言ってよいでしょう。
 こうした政治家を増やし、育てていくには、選挙民が政治をバカにしないで、あきらめないことです。政治への監視を怠らないで、選挙で政治家の評価に決着をつけることを忘れないことが必要です。これが選挙民の勤めではないでしょうか。
   4.自らの改革に消極的な国会と新聞界
 ところで橋本内閣の最大課題である行政改革は大詰めを迎えようとしています。果たして、核心まで踏み込んで行けるのでしょうか。
 私の見るところでは、すでに赤信号が点滅しています。
 省庁の再編案一つ取りましても、現在の22の省庁を1府12省庁に減らすという、形だけの削減はできるでしょう。しかし、大蔵省での『財政と金融との分離』が見送られることで分かりますように、官庁側の抵抗や、族議員による反発などによって、『橋本行革』の限界が見えたような感じがします。
 横道にそれますが、がんセンターだけについて付け加えれば、政府の行政改革会議や自民党の行革推進本部と社会部会などの意見では『国立病院、療養所は整理再編成を進めていくが、がんセンターなどについては国立が良い』という見解が強い、ということを聞いています。
   『再版』維持に血眼の新聞
 『痛み』や『犠牲』を伴う、行政改革とか規制緩和というものは、一部でこれを免れたり、回避するようなところがあっては進んでは行きません。いま既得権の放棄を免れている、最たるものは国会ではないか、と私は思います。そして民間の方では未だに『再版価格維持』の特別措置を続けることに血眼になっている新聞界があります。
 戦後、甘やかされてきた新聞界は、他の企業が規制緩和で、自由化されているのを尻目に、いろいろな規制の恩典を受けています。例えば、新聞定価が新聞本社の決めた通りにしか売ることができないこと。販売店に関する規制、購読料金の協調的値上げ、一部の企業ですが、社内株による経営状態の非公開性など、『公共性』をタテに既得権にしがみついています。
 すでに新聞などの『再版見直し』の議論が出ていましても、新聞紙面には『再版を維持すべき』という意見が中心に扱われ、国民や読者はもちろん、新聞の第一線記者ですら、新聞経営の裏側に潜む、諸々の実体を伺い知ることができません。
 今日は新聞界の事まで触れる時間がありませんが、国会とそして世論形成の一翼を担う、この新聞界が既得権の放棄を免れている2つの大きな分野である、と言っても過言ではありません。
 この2つの分野が、もし先頭に立って自ら真剣に『血を流し』『痛みを伴う』改革に先鞭をつけて行けば行革の推進力になるのですが、誠に残念なことです。
   国会議員1人への年間、国費支出は一億円余
 厚生大臣の小泉さんは『国会が率先、既得権の放棄をしてこそ、行革が始まる』と言われました。私も現役当時から訴えていたことで、手紙で激励しておきました。
 前にも触れましたように国会議員にはいくつかの特権があります。しかし、その中には『行き過ぎている』と見られるものがいくつかあります。
資料@をご覧下さい

資料@
平成9年6月3日 国立国会図書館政治議会課
国費から支出される国会議員一人当たりの経費(年額)  平成8年度
  議員歳費             2、390万5,400円
  文書通信交通滞在費      1,002万円
  秘書手当              2,906万2,000円
   (秘書退職手当を含む)
  立法事務費              780万円
  政党交付金(助成金)       4,079万6,000円
  永年勤続議員特別手当        34万円
   (対象議員1人当たり額)     (360万円)
  JR・航空運賃             141万7,000円
  議員宿舎維持管理費         40万7,000円
  議員会館維持管理費         61万1,000円
      合計           1億1,633万8,400円
(注) 議員歳費、文書通信交通滞在費、立法事務費は実際の年間支給額、
    その他の経費は、年間予算を議員数で割った数字である。
 『国費から出る国会議員1人当たりの経費です』
 議員一人当たり、国からの支出は年額、1億1千万円余りになります。その総額は平成8年度予算で1,290億円であります。
 この額の多いか少ないかは、皆さんの判断にお任せするとして、これを主要な国々と比較しますと、日本はアメリカに次いで2番目に高い額です。
 各国の議員関係の国費を日本円に換算しますと、アメリカは2,706億円で世界で1番。2番目が、日本。3番目はイタリーの1,143億円。4番目にフランス、あとはドイツ、イギリスと続きます。
 ですから日本の場合、議員への国費の支出は決して少ない額ではありません。ついでに資料Aに私の引退直前の1ヶ月の手取額を参考につけました。手取額は年2回の期末手当を含めて215万円です。関心のある方はあとでご覧下さい。
資料A
        議員の月額手取り額
      (T議員引退直前・平成5年2月分)
   収入
   歳費          129万2,000円
   文書通信交通費    30万円
       小計      159万2,000円
    【控除額】
   互助年金納付金(積立金)    9万7,911円
   所得税               22万4,533円
   市町村民税            19万5,900円
   団体生命保険料          2万8,244円
   電話料                1万4,696円
   議員宿舎経費            1万8,216円
   同  光熱費                6,582円
             控除小計     58万6,082円
   差し引き手取額           100万5,918円
   これに税金対象外の手当
    文書通信交通滞在費       50万円
    永年勤続特別交通費       30万円
   総計手取り額            180万5,918円
   以上のほか期末手当(ボーナス)として
     6月  291万6,240円(所得税110万8,171円)
                    手取り額180万8,069円
    12月  382万7,565円(所得税145万4,474円)
                    手取り額237万3,091円
        計  674万3,805円(所得税256万2,645円)
                      (月額相当34万8,430円)
  期末手当含めた
  月額総手取額(政党助成金、立法事務費を除く)
                            215万4,348円
 小泉さんが、辞退した永年勤続表彰の手当のことは資料@の真ん中あたりにあります『永年表彰特別手当』の項です。
私に言わせてもらいますれば、それよりも同じ資料@の上から5番目の『政党交付金』とか、その下の『JR・航空運賃』こそ、行き過ぎた特権というべきであります。ほかにもありますが、略させていただきます。
 まず『政党交付金』のことを申しましょう。
 政党助成金は、そもそも政治腐敗の温床になる企業献金のを止めさせるために設けた助成金です。4年前の平成5年9月に当時の経団連会長だった平岩外四さんたち経団連の役員が、汚職事件を断ち切る手段として、企業献金を止めさせる。そして、その代わりに国費から政党に助成金を出したらどうか、と政府や政党に、助言したことから始まったものです。政界も素早い行動を示したもので、経団連の提言した翌年には、もう政党助成法案が成立し、次の年に施行されました。
   政党助成の“前提”『企業献金廃止』は見送り
 しかし政党への助成制度が決定しても企業献金は、多少、額が制限された程度で、廃止はしないまま、政党助成が実現してしまいました。
 政党交付金の使途は、条件がありません。ほとんどの政党は所属議員に対して、一応名目を付けながらも議員個人に配分されて政治資金の一部になっている、というの実情です。首都圏の私の知り合いの自民党中堅議員の話では、1回、1千万円前後をもらっているようです。
 この助成金の総額は、国民一人当たり250円の負担という基準で計算されています。
 本年度の総額は314億円(初年度309億円)になっています。がんセンターの本年度予算は277億9千万円ですから、これを遙かに越えるものです。
 資料Bを見て頂ければ各政党への配分額が分かります。これは所属議員数や選挙の得票数など少し面倒な計算方法で自治省が毎年決めます。
資料B                       平成9年4月10日
                           自治省告示第86号
      ’97年分政党交付金(助成金)交付額
    自民党     146億9,076万円(△ 9億8,325万円)
    新進党      93億  397万円(▼ 5億  666円)
    社民党      27億4,113万円(▼19億6,892万円)
    民主党      27億3,623万円(△22億9,925万円)
    民改連       5億  219万円(△   2,528万円)
    新党さきがけ    3億8,081万円(▼ 4億7,021万円)
    公明         3億3,873万円(▼   8,906万円)
    太陽党       2億9,745万円
    自由の会      2億 881万円(△ 9,876万円)
    二院クラブ     1億9,244万円
    一万円未満は切り捨て。()内96年交付金との比較。△は増加、▼は減少。
    二院クラブは請求の手続きをせず、96年分の交付は受けていない。
    又、「自由の会」は7月に助成要件を失ったため、ここに記載された金額の12分の7が交付金額となります
 資料Bでお気づきと思いますが、共産党は、当初からこの制度に反対で、配分を断っています。共産党の今年、受け取れるべき13億円あまりの助成金も拒否しています。この点、私、評価しています。
 企業献金のできた経過を見るにつけまして、私はこの政党助成金制度というものは、一種の公的違反であり、今後も、企業献金を続けるならば、この『特権』こそ放棄すべきであると考えます。
   永年表彰年限は戦後、25年に短縮
 その下の項目にある『永年勤続表彰ですが、これは戦前の昭和10年に、憲政の神様と言われた尾崎咢堂さんたちが30年勤続で表彰を受けた時から始まったそうです。その時は同僚議員が、当時のカネで10円づつ持ち寄り、議事堂内に飾る肖像画を贈ったということです。
 それが戦後になって、表彰の条件が25年に短縮されたり、国会から運転手付きの車がつけられるようになりました。それが、昭和50年ごろになりますと該当する議員が、次第に増えてきて国会の車を出す余裕がなくなり、その代わりとして月額20万の『特別交通費』が支給されるようになったのです。それが2度、引き上げられ、現在30万円となりました。
 私は12年前に表彰を受けましたが、近年、永年勤続議員の数が、益々増えてきました。そのため肖像画が議事堂内に一杯となり収納できなくなり、古い者から順に、議事堂の隣にある憲政記念館に追いやられるようになりました。
 こうなっては25年の永年表彰の制度を止めるか、それとも表彰年限の基準を50年に引き上げるかをそろそろ見直すべきではないでしょうか。
 一般論になりますが、勤続年限の表彰というものは、ある意味では、一つの『励み』になります。けれども、反面、表彰を受けたい一心に、何時までも与えられた地位に居座るという弊害もよく見られる社会現象ではございませんでしょうか。
 国会も例外ではないことは、ご存じのことであります。

   JR無料パスと航空運賃の国費、年10億円
 次に『JR・航空運賃』のことを少し触れておきます。
 これは議員に与えられた『無料パス』と航空費を国費で賄っている代金です。JR・航空会社へ国会から払っている額は総額で1年、10億円(うちJRへは7億円)になります。
 JRバスの場合、全国、自由にグリーン車や特急に乗れるものです。非常に便利なものですから、国会は、この既得権をなかなか離しません。大正時代、普通選挙施行以前からの特権です。
 私たちは、新自由クラブ結成の翌々年に、当時の『国鉄優待パス』を全議員で返上いたしました。各政党に呼びかけましたが、賛成を得られなかったので、仕方なく、一政党として実行したのです。
 バス返上の理由は、当時の国鉄が膨大な赤字を抱え込み、国費の調達を受けながら四苦八苦していました。にも拘わらず、国鉄当局は国会ばかりでなく、各官庁、関係団体にいたるまで優待バスを乱発していました。これを止めさせるためには、まず国会から見本を示そうとしたのでした。国会内の一部には『スタンドプレー』などと批判が出たことは当然です。私は引退まで、バスの返上を続けてきましたが、このことで感じましたことは、議員が国民と同じように乗り物に切符を買って運賃の重みを自ら肌で感じる。これが、国民の代表として大事なことであるということを痛感しました。
 あとについては略します。
 いま民間企業や各官庁、各団体が、リストラに頭を痛めているとき、国会が、もっと冗費の節約を行い、議員定数の削減など、思い切った自らの改革に手をつけるようになれば、行政改革に対する抵抗をやわらげて行くに違いありません。
5.政治とカネ
    安易なカネ集めが、工夫と節約心をなくす
 政治には、カネがかかる、とよく言われます。確かに政治には様々な経費が必要であり、ある程度のカネがかかるのは当然です。しかし、最近は私どもの想像を越えるような莫大な経費が使われるようになってきました。
 少し古い話で恐縮ですが、自民党の1,2年生の有志議員10名が、国会生活でカネがかか過ぎて困る、と悲鳴を上げて記者発表して示した政治経費の平均額の要約が、のちに毎日新聞に私の政治資金と比較して、掲載されました。
 もう10年経っていますが、これをみなすと自民党の有志の議員10名の年間、政治経費は1億円を突破しています。古顔の私のは、その3分の1に過ぎません。
 このユートピア研究会は、自民党の中でも良識派といわれていたグループで武村正義さんが中心です。のちに自民党を離党して『新党さきがけ』を結成した人たちであります。その若手良識派でさえ、年間、1億円以上のカネを政治につぎこんでいるのですから、他の議員はもっと多いはずです。
 なぜ、こんなにカネがかかるのでしょうか。
   電報代、年に611万円の人も
 多くの保守党議員がそうであるように、政治資金を安易な方法で集めているからです。パーティ券を売りさばいたり、多額の企業献金に頼ったりしているからです。汗をかかないで安易なカネ集めをしているので、経費の節約や工夫に頭が回らなくなるのです。
 一例をあげましょう。
 支出を『交通・通信費』という項目があります。私の方が少ないんです。詳細は書きませんでしたが、この通信費の中に『電報代』611万円という人がありました。1年間に、これだけの電報を打っているのです。月に50万円という計算です。恐らく慶弔電報の乱用に違いありません。
 私の交通費はJRパスを返上して自費で払っていましたから多少多いのですが、それでも合計額は若手の皆さんより少ないです。私は慶弔用の電報類はほとんど使っていないからです。しかし、慶弔の挨拶はしないのではありません。急ぎの時は、電報の代わりに『電子郵便・レタックス』を利用していました。いまもそうです。安くて、沢山文字が書け、自筆でも印刷体でも、そのまま伝えることも可能です。2時間ぐらいで、ちゃんと慶弔用の封筒に入れて配達されるのです。それで580円です。電報なら簡単なものでも千円は楽に越えます。
 これを今日、先生方に紹介しようかと、どうしようか、迷いまして、参考に、4,5日前、2,3の病院へ『電子郵便』・レタックスのことを尋ねてみましたら、名称は知っているようでしたが、いずれも使い方も知らず、利用はしていないようでしたので、無駄とは思いましたが、紹介しておきます。今は『インターネット』とか『インターメール』のような手段もありますが、電子郵便は個人でも、ずいぶん効率的で相手に心の通う方法であります。用紙を、お回し致します。別に郵政省からPRを依頼されて訳ではありません。これを利用すれば経費も少なくて済みます。
 余計なことまで申しましたが、私のところでは、このほか、事務所で慶弔用の封筒や用紙を作って置きまして、それに必要事項を書いて近い所ならば持って行かせるか、お祝いなどのように期日の余裕がある場合には郵送するように今もしています。
 私のところでは、一時が万事、諸経費を工夫、節約してきました。その最大の理由は政治資金の大半が、大衆から零細な資金を、汗をかきかき、苦労して、集めているからでありました。これを無駄に使えない、という考えからでした。
    コーヒー一杯運動で大衆資金
 私が自民党を離れ、新自由クラブとして野党生活に入ってから試みました『コーヒー一杯運動』のことも、少し紹介しておきましょう。
 私は自分の政治活動や政治姿勢に共鳴して、応援してやろう、という方々に対して、月にコーヒー一杯250円を飲んだつもりで協力してもらえないかと頼みました。当時、コーヒー1杯が、そんな値段でした。
 ところが共鳴者が選挙区はもちろん、全国から続々とカンパを寄せてくれまして、それ以来、引退するまで16年間、平均して年間2千万円から3千万円ぐらいの大衆資金が集まりました。
 これが私の政治資金の根幹になっていたのです。引退までの間、集めた大衆による資金は16年間で3億6千万円、延べ4万あまりの人々が私のもとへ協力して下さいました。
 余談になりますが、この運動が順調に進んでから2年後かに、選挙区の支援者のコーヒー経営者から『コーヒーを飲むのは節約されては商売が干上がってしまう』と苦情が寄せられました。そのため当初の『コーヒー1杯節約運動』の『節約』という文字を外し、『コーヒー1杯賛助会』運動と名前を変えました。
 ただ、こうした大衆資金の協力が16年も続いたというのは、私、政治家自身の地を這うような努力を続けた結果でもあります。普通の方法では、大衆が途中で飽きるか、やめてしまいます。支援者との心のつながりを維持して行くための努力が必要なのです。
 印刷物による一片の礼状のようなもので済ましていては、尻切れトンボに終わってしまします。
 私の場合、毎年、2千人、3千人という支援者に対して自筆で、しかもその人に相応する言葉を添えて、礼状、挨拶、便りを書き続けてきました。政務に支障のないように続けました。電車や車の中、駅での待合いの時間、国会での待ち時間、就寝前のいっときを利用して、礼状ハガキの余白に、相手に相応しい、お礼の言葉を書いて来ました。
 もちろん、伝票1つ私が見れば、その人との関係や『コーヒー代金』カンパ納入状況などが一切、分かるような名簿の整備も必要です。
 私は同志の若い代議士に、この方法を勧めました。また私の話を聞いて『教えてくれ』と来た先輩にもコツを説明しました。しかし、ほとんどは途中で挫折したようでした。
 私ごとを、あれこれ申しましたが、こうした政治資金集めによって私は『やればできる』という事を体得したのです。そして周囲の人たちに私が常に申していたことは『政治家は、ケチと言われることを誇りに思え』という言葉でした。

6.藤山愛一郎さんの述懐
 終わりに、戦後の『井戸端政治家』として、よく引き合いに出されます藤山愛一郎さんについて、申し上げ、私の話を閉じることと致します。
 私は所属政党は違いましたが、晩年の藤山さんとは、中国との国交正常化の裏交渉で、よく行動を共にいたしました。そのため、幾度か中国へ、ご一緒したり、藤山事務所へ頻繁に出入りした時期がありました。
 もうその頃、藤山さんは、政治のために、ご自分の資産を使い果たし、自民党の中でも藤山派という派閥は消滅しておりました。1〜2の代議士を除いて、藤山派の人たちは、ほとんど他派閥へ去りました。『カネの切れ目は縁の切れ目』とよく言ったものであります。
 その藤山さんが、ある時、私と2人きりになった時、言われた言葉を今もって忘れることができません。『世間では、自分のことを、“井戸端政治家”と言って褒めてくれます。自分はカネの「入り」、入る方については何一つ、恥じることなく対処してきたつもりだ。しかし『資金の出』、カネの使い方については、保守政党の旧態依然とした悪い面を、そのまま踏襲してきた。いま考えると内心、忸怩たるものがあります』。藤山さんはこう私に言われました。
 藤山さんが評価されていたのは、カネの『入り』の面であって、その使い方では、従来の金権政治の域を脱していなかった、と藤山さんは自ら告白しておられたのです。
 私は藤山さんという人は偉い人だ、と思ったのは、おカネを提供している所属の議員たちが、先細りの藤山派に見切りをつけて、クシの歯が抜けるように1人、2人と他の派閥へ去って行くのを見ても、藤山さんは超然としていたとです。その人たちを批判したり、悪口を言うなど未練がましいことを一切、口にしませんでした。心中、察するに余りあるものがあったと思いましたが、藤山さんの、心の広さに私は打たれました。
 政治家が巨額な資金を集めるのは、代議士個人としては選挙とそれに備える日常、選挙区を培養するための費用でしょう。一方、政党のリーダーたちの方は、とくに総理、総裁を目指す政治家たちは、自らのグループの強化と拡大をはかるため、仲間の代議士への資金提供するために力を注いで行きます。
 先程来、申し上げたように、個々の代議士が、慎ましい資金で政治生活をするようになれば、党の幹部や、派閥のリーダーからの資金に頼らず、やっていけるようになります。
 そしてリーダーたちの方も、資金集めに危ない橋を渡らずに済むようになります。度々申し上げましたように、こうして政治家と選挙民が政治に対する意識を変えて、公人・公職者としての使命感と責任感に目覚めてくれば、それぞれが多額なカネを集めないで済み、政治浄化の芽が出てまいります。このことに期待をかけながら話を終わります。ご静聴ありがとうございました。(平成9年11月8日)