ふるさと呑風便   06.10   NO.210 
 
    道川海岸・浜辺の歌音楽祭
   
 秋田県由利本荘市、旧岩城町道川海岸。ここは日本初のロケット発射実験場で知られる。
 もっと昔の大正4年。あの世界的名曲「浜辺の歌」の作曲者・成田為三が道川海岸を散策し、浜辺の歌を曲想されたことは知る人ぞ知る。
 浜辺の歌研究所所長の佐々木嶺松さんは、旧岩城町出身。小さい頃からその伝説を聞き、何時か道川海岸で浜辺の歌の音楽祭を開きたいという夢、ロマンを持ち続けていた。
 佐々木所長は、成田為三が秋田師範学校の学生の頃、結核で入院していた同級生を見舞いに、秋田市から岩城町の道川にある国立療養所まで3時間半かけて歩き、その友人と道川海岸を散策したという記録を発見。 
 佐々木さんは友人である夢とロマンの町長、前川盛太郎さん(元岩城町長)に相談し、宿泊された道川駅前の伊勢屋旅館の前に成田為三宿泊先との記念碑を建立された。
 私はこのロマン溢れる話を聞き、浜辺の歌も、記念碑も友情の賜と勝手に連想した。

 佐々木所長は大正琴花かげ会を主宰され、心に響く名曲コンサート、東海林太郎音楽祭を企画され見事に成功されてきた。次は浜辺の歌音楽祭の番だった。

 5月11日。夕刻の道川海岸。私は水墨画の天才・卓吾と歩いた。
 彼は「心に響く名曲コンサート」のポスター原画を描いてくれた親友である。
 今回もポスター原画を頼むと道川海岸に案内した訳である。 その日は快晴。北に男鹿半島が海岸線に浮かぶ。南には鳥海山がくっきりと映えていた。 
 彼は鳥海山をちらりと見ただけで、男鹿半島側を真剣な顔で観つめている。
 浜辺にイカ釣り船が二艘あった。南側に見える麗峰鳥海は回っていない白い風力発電機と赤いアンテナに遮られている。  卓吾は、やおら小さい紙切れを取り出し、ボールペンを私から借りて、スケッチを始めた。

 二ヶ月後の秋田駅前・人情酒場久保田。千葉の九十九里浜に住む卓吾氏が「久保田で飲んでる、持ってきたぞ」と電話がきた。その絵は見事な夕焼けに染まる道川海岸だった。名付けて「道川海岸浜辺の歌」とした。

 第一回浜辺の歌音楽祭実行委員会が由利本荘市岩城支所で開かれた。5月8日。私は事務局次長にしてもらい、音楽祭ではなく名称を「浜辺の歌まちづくり委員会」に変えてもらった。
 会長には前川盛太郎氏、佐々木嶺松先生は顧問格。企画演出、音楽監督にはピアニストの佐々木久美子さん。実行委員長は岩城町のコーラスグループ、コールいわきの代表、三浦祐子さんが選ばれた。
 久美子先生が懸命になって県内の一流の音楽家、演奏家を招かれた。勿論、地元道川小学校、岩城中学校の生徒も出演する。 入場料が500円。
 実行委員の中からはこれで集まるだろうかとの危機感が生まれた。皆、懸命になった。

 会場の岩城会館の定員は五百人。一週間前には会場が溢れるのではないかと心配に変わった。
 9月24日当日。岩城会館はまさに溢れんばかりの観客。
 十六ものグループ、演奏家、歌手は課題曲に浜辺の歌を演奏し、歌い、そして自由曲一曲を披露。大きな拍手がわいた。
 後日、三重県四日市の長島勇さんから、事務局に礼状が届いた。「大きな感動が残った、文化あるれる岩城が美しい国日本の見本になってほしい」と。
 来年も音楽祭を続けます。
 美しい郷土をつくるため、今度は道川海岸に浜辺の歌の歌碑をつくる番です。
  ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成18年3月27日(金)
★ ふるさとネットワーク事務所
★「無臭大豆で地域おこし」2
★ 池田泰久氏(アグリジャパン社長)
 
 大豆イソフラボンの分子配列、これが女性ホルモンの分子配列と似ているんだそうです。ですから大豆をとるということはですね、どうしても必要であり、非常に健康面からも非常に良い食物だというふうに思っています。

 それで先般ちょっといろんな方々に中華料理にも使って頂きました。ケーキにも使いました。それからドレッシングですね、ドレッシング。それからアイスクリームも食べてみました。非常においしいです。例えば鍋物にこの粉を、パウダー化した「すずさやか」を入れるとコクが出てきます。
 それからさっき言ったドレッシングで野菜を食べましたんですけれども、これは胡麻だれみたいな味がしてきました。だからうどんを食べる時の汁でもいい。そういったような形で、いろんな工夫をすることによって用途が非常に広がってくるなと考えております。
 それで、今回おばこ農協さんの方でいろいろやっていただきまして、去年は8トンとれまして、5トンを今年の種子にしようというふうな話になったんですけれども、植えたいという人が非常に出てきまして当初計画が160ヘクタール、160町歩だったんですけれども今170、180近い方々が植えたいということで、ですから8トンのうち1トンぐらいしか余らなくなってしまったという現状です。
 それで今年の収穫が大体350トンになる予定です。平成19年には700町歩を植えます。そうすると1,200〜1,300トンとれます。それから平成20年以降は大体1,000町歩、これで1,800〜2,000トンというふうなことを目指しております。気候にもかなり左右されると思います。昨年は非常に気候がよく、刈り取り時期も非常に良かったです。ということで反あたり3.5俵ぐらいとれるかな、そういうふうな現状です。
 それで今買いたいという人はどれぐらいいるかというお話しをしますと、例えば豆乳をつくる、これを企業化するのには、大体1,000トン単位でほしいんだそうです。1,000トンないと企業化はなかなかできない。それも安定供給。それからあと一つは製麺メーカーですけれども、今カップラーメン、カップラーメンは揚げたりしょっぱかったりいろいろと体に悪いのも入ってます。ところが、これでもう名前までついて「筋肉麺」という麺をつくるから2,000トンくれと言われても、2,000トンはもうなくなっちゃうんですよ、1社で。1,000トン、2,000トンクラスで出ていくというふうな可能性がありますので、今とりあえずおばこ農協でやっていただいていますけれども、秋田全体として今後考えていきたいと考えております。
 今、種子がなかなかないものですから秋田全体には広がってはいかないんですけれども、2、3年後からは秋田全体に広めていきたいと思っております。これを是非、秋田の活性化をするために使っていきたい。
 ただ、そのまま大豆として出してしまったら付加価値がつかないですね。ですから秋田の特産品をつくりたいんです。特産品をつくっていただきたい。さっき言ったように稲庭うどんに混ぜるとかいろいろケースがありますね。それから今秋田県の食品研究所で研究しているのは秋田のもろこし、もろこしをですね大豆で作れないかということです。
 あとは老人といえば語弊がありますけれども病院食だとか例えば特養ホームだとか、そういう方々に肉を食べさせるよりは、肉とこの粉を混ぜて肉団子を作って頂きたい。
 肉は熱をかけると縮まるんですね。ところが粉はですね水分を吸ってふくらむんです。ですから肉半分、大豆の粉半分で肉団子を作ると非常においしい肉団子ができます。
 ですからそういうものを是非作って、秋田でできたものを売っていきたい。

 ここに中華料理の試食会の時のメニューが全部あります。杏仁豆腐からパンケーキ、全部できます。例えば、このパイ生地にしてアップルパイを作ってみてもいいです。
 秋田のりんごを、この「すずさやか」のパイ生地の上に乗せて、それで冷凍で出してやる。それから皆さんスーパーに行くとわかると思いますけれどもシュークリーム、個包装になって真空パックみたいなあれありますね、シュークリーム。あれを皮もクリームも大豆で作れれば、あれは大体冷凍でもつそうです。今あれを作っているのが群馬県にいますが、モンデールという会社ですけれども、そこに持ち込もうと考えています。ただ持ち込む輸送コストが結構かかるものですから、それを秋田でできないか。いろんなケースを考えております。
 ラーメンを作るというと、ぼきぼきして折れちゃうんですよ、それでですね、今、我が兄弟会社で開発したのはコンニャクを混ぜることです。水溶コンニャク。そうするとヘルシーなんです。蛋白質もとれるという麺ができます。そこら辺の開発までずっと行ってきてます。ですからパンもケーキもみんなありますけれども、ケーキは100%、大豆の粉で作ってます。パウンドケーキ。非常においしいです、しっとりしていて。
 それからもう一つは油を絞ることによってですね食用油にもなりますし、逆に化粧水、化粧油にもっていく、資生堂もやってみようかなというふうに思ってます。
 この間オーデコロンが桜のエキスで作りましたね、角館で。あれと似たようなものをちょっと考えてみたいなと。資生堂かどうかわかりませんけれども、どこが飛びついてくるかわかりませんけれども、そういうものもやってみたいなと。ですからいろんな構想が広がっていくんです。それを何とか秋田でつくりたい。秋田から製品を出していく。付加価値をつけて出していくと。そうすることによって若者の流出が止まって、秋田に留まってくれるんじゃないかと考えております。

 今、少子高齢化、それで老齢人口がですね30%近くなっている。農業から離れていく人、農業人口がどんどんどんどん減ってきている。日本の食料自給率35%だったんじゃないかな、そこら辺まで落ちているはずです。それを国の方針として40%というふうな方針がありますので、是非これを起爆剤としてもっていきたい。
 今度、北京オリンピック、2008年にあります。2008年の食料は中国のものは絶対使わないそうです。全部輸入したもので行うそうです。中国の自給率はかなり落ちております。ですから今後豆類にしてもトウモロコシにしても中国は輸入国になってしまう。ですからやっぱりある程度自給率、お米は確かに余っているところもあります。

 秋田は農業県です。由利本荘地区はTDKがありますので事業というふうなことがありますけれども、やはり秋田県としてはやっぱり農業県でありますのでこういう事業を起爆剤とする、農業に関したこういういろんな製品をつくって市場に出す、マーケットに出していく、それをやっていきたいと考えております。
 たまたまですけれども、この考えが日銀の秋田支店長と同じなんです。この間、日銀の秋田支店の方が来られて「あなたが言っていることはうちの支店長と同じだ」と言われました。ですから日銀支店長とは会ったことはないんですけれども、たまたま調査に来た人がそう言ってましたのでそうかなと思ってますけれども、そういうことでこの『すずさやか』は是非広げていくとともに、特産品を作っていただきたい。
 はっきり言うとそこのジャージー牛乳のところにですね「ヨーグルトを作っているからこれで作ってみないか」と一応声かけたんですけれども反応がなかったです、はっきり言うと。今作ってくれるのは、おはよう納豆が作ってくれると言ってくれてます。OEMにするとか、ヨーグルトですね。ヨーグルトケーキでもいいです。
 要は市場にどうやってこっちから持っていって売れるかということを考えていきたいなというふうに思います。
 それで豆を植えると一つネックがあるんですよ。豆が3年になると連作障害が出てくる。連作障害除去ということで私どもも非常に、ローテーションで植えていくつもりなんですけれども、やっぱり休耕田にやっているんでやっぱりネックになるんです。
 それで何とか連作障害除去の方法がないかということで、1つの考え方なんですけれども嫌気性微生物を使ってやろうということでテストしたんです。そうしましたら嫌気性微生物、ハウスの中で微生物が動いてですね真冬でも気温が20度ぐらいになりました。
そして、いろんなものを少しずつ植えてみました。
 葉物とか根菜類、豆も植えてまみした、それからサヤエンドウも植えてみました。葉物は非常によくできました。
 ですから、これから農業をやっていくにはやっぱり秋田、秋田として冬の間は休んでいるということをしなくていい農業ができると。ということは、とりもなおさず会社経営でも農業ができる。今までは会社は夏しか収入がなく、冬何にもしないと会社で給料を払っていける収入がないわけです。ところが冬でもそういうふうなものができると、それを市場に出すことによって有機野菜を供給できるという考えになっています。ですから冬、冬はちょっと給料が下がるかもしれませんけれども、とりあえず給料は払える体制を整えることができる。
 我々もそういう市場とのマッチングをどう考えていくか。いくら作ったって売る場所がないといきづまります。我々の会社では、とりあえず東京にもスタッフがいますので今それをどうやって開発しようか、開拓しようかと考えています。
 それからあと京都の業者が岩手から今野菜をとっているんです、有機野菜。それをこっちからも供給しようかなと。ですから岩手に運んでいけば、岩手から京都に運んでくれるんです。ですから会社が農業を請け負って、それから従業員を抱えて、それで給料払う。今までの農業が変わってくる、これからの農業が変わってくる、変えていこうと考えています。

 高齢化になって田んぼを耕作しない人、そちらから畑を借りてそれをこっちが会社が運営してそれでメリットを返してやる、そういうふうなことを我社で考えています。
 そうすれば若者も残っていくし、働く場、場所を提供できる。ですからいろんな副産物が出てくる。これによって何とか秋田の人口減少を止めていく、そこも考えてます。非常に膨大な構想なんですけれども。
 嫌気性微生物についてもう一言言わせてください。嫌気性微生物をやることは、要は土壌改良なんですね。窒素と炭素とのバランスをとらせることが連作障害除去ということにとりあえず気がついたんです。それで炭素を入れる、何を入れたらいいか考えた時、秋田にはこんなに山があるじゃないかと。間伐材を切ってもその処理で困っています。
 雑木やら何やらをチップ化して畑に埋め込んでいく。要は県なり何なりで山林保護、自然保護ということで、そっちの方に資金を出してもらう。その間伐材をチップ化して畑や何らに何か敷き込んでやると、秋田っていうのは美林が残って、美田が残って、いい作物ができるというふうな循環型の農業ができるんではないかと思うんです。
 こういうことを試行している訳です。私としても、最終的には。
 もし特区をつくっていろいろ出来ればいいなと考えております。

 本当につたない考えの中から出てきたものなんですけれども、考えれば考えるほど自分では面白くなってくるんです。
 これをいかにして商売にして、それから地元を潤わせて、それから地元の活性化につなげて、それからいい環境をつくってというふうなことを是非実現していきたいなというふうに思ってますので、まずひとつ皆さんのご協力もお願いし、いろんなアドバイスもちょうだいしてこの事業をやっていきたいと思っております。(拍手)
 呑 風 日 誌 抄
 9月1日(金)事務所の大水槽に放したカジカ。他の稚魚を食べつくす。で大型のカジカ3匹を芋川に戻す。
 9月2日(土)旧本荘市水林球場。スポ小野球の新人戦決勝戦。
 岩谷小の応援。対子吉小学校。投手で4番の佐々木光君、いいセンス。7対0で快勝。
 保健所時代の上司・堀井正男さんを特養の「愛」にお見舞い。
 夕方、ホテルアイリス。本荘高校同窓会総会に出席。
 3日(日)夕方、焼肉章月園。岩谷の壮年野球チームの会合に飛び入り。メンバーの子供が本荘高校ブラバンで甲子園でラッパを吹いたと聞く。事務所で二次会。
 4日(月)旧西目町・鳥海コロニーにてケーシーランキン慰問ライブ。さすがに上手い。
 5日(火)天鷺村の城跡にてケーシータランキンライブ。
 夜、成田重文氏宅にて都市対抗野球のTDKのテレビ応援。何と日産自動車に4対3で勝利。初戦勝利に宿舎に由利本荘ベースボールクラブから祝電。
 6日(水)旧東由利町の八塩小学校野球部に工藤幹夫野球教室開催。由利本荘ベースボールクラブの地域貢献の一環。夕方から旧本荘市石脇の願永寺にてケーシーランキン平和への道ライブ。大きな蝋燭が燃える中、ベトナム戦争従軍体験も話し、最後に今はプー太郎をやっている佐々木三知夫が今度は違った形で皆さんにお目にかかりますと挨拶してくれる。岩谷町の千洋にて打ち上げ。
 8日(金)旧本荘市のセレモニー水林にて高橋正敏氏の葬儀。つい先だって高校の同級会で一緒だったのに。(合掌)
 夜、本荘駅前の元気にて大越英雄氏達と一献。元氣をもらう。
 9日(土)秋田空港。大阪の斎藤勝朗先輩を出迎え。組合病院にて斎藤さんの親友の見舞い。午後から特養おおうちにて、東海林太郎歌継団一行の慰問公演。秋田馬子唄全国大会に顔を出し、夕方、旧本荘市石脇の今野忠良総監督宅で、勝朗氏、本荘高校野球部の斎藤部長、尾留川監督と一献。甲子園出場の話で盛り上がる。
 10日(日)子吉川市民レガッタ大会へ。長田建設が優勝。
 フェローの加賀屋利雄氏を佐藤病院に見舞い。元氣で安心。
 13日(水)昼ぽぽろっこにて大内ライオンズクラブの例会。
 15日(金)事務所にほたるの学校。「岩谷にホタルを飛ばすには」講師はむつみ造園土木の三浦先生。パワーポイントにてわかりやすく説明される。街でホタルを飛ばすには駅の明かりを全部消さないといけない。ホタルの幼虫の餌・カワニナを取ってきて水槽で飼うことにする。
 16日(土)夜、事務所にて明日の大内を創る会の仲間に集まってもらい来春の県議戦出馬の意向を表明。
 20日(水)旧鳥海町へ。鳥海山が美しい。夜白沢会の例会、政どんにて鹿児島の知覧行きの相談。
 22日(金)めだかの学校の堀清太郎校長がブルーベリーの苗木2本を事務所駐車場脇に植えてくれた。見事。夕方、秋田ふるさと塾。「斎藤憲三・その人と事績」講師は小林孝哉先生。渾身の講演に皆感激。
 23日(土)夕方、ちひろ食堂にて鈴木邦一先輩の同級会に呼ばれ、色々とご教示を受ける。
 24日(日)旧岩城町亀田の妙慶寺。親友の母親の墓参。午後から岩城会館にて浜辺の歌音楽祭。十六もの演奏家、歌手、合唱団の演奏と歌が続き、大きな拍手。大成功だった。打ち上げがウエルサンピア。美酒。来年も続ける。
 26日(火)終日、稲刈り。農事組合法人新田耕作生産組合理事として、コンバインは運転できず、軽トラックで籾運び。暗くなり軽トラックを溝におとし、進さんに救助される。貴重な現場体験であった。組合事務所にて皆と一献。旨酒。
 27日(水)昼、ホテルアイリスにて社団法人本荘由利スポーツ振興会の理事会。事業計画は由利本荘のスポーツ先人館創立の為の事業費を計上。11月までに総会を開催予定。
 夕方、ホテルアイリス。ライオンズクラブの合同例会。二次会がゼロ。
 29日(金)ホテルアイリス。倫理法人会の朝のセミナーで会員スピーチ。終日好天。稲刈り。的場の畠山豊作さんを耕作さんだと聞き違い、今年は豊作ですかと聞いてしまった。豊作でないという。春の冷気で稲の茎数が少なかったと聞く。豊作さんとはいい名前ですねといったら「何も良くない」といわれる。
 30日(土)ぽぽろっこグランドゴルフ場にて県友会グランドゴルフ大会。ビリから二番目。午後から水林球場。仙台稲門会野球同好会と秋田稲門会野球部の交流試合。6回を完投したが12対1で大敗。これで通算我がチームは3勝13敗。
 小園旅館にて由利本荘稲門会主催の歓迎会。後輩の元秋田朝日放送のアナウンサー工藤東子さんが琴の演奏。
 仙台チームは涙をこぼすがごとく感動。来年は仙台で勝つ。